東京地方裁判所 昭和29年(シ)2号 決定 1956年4月21日
申立人 吉田邦康 外二名
相手方 高柳直兵衛
主文
本件申立はいずれも棄却する。
理由
第一、本件申立の要旨
(一) (1) 申立人吉田邦康は昭和二十一年十月一日相手方からその所有の東京都中央区日本橋大伝馬町一丁目四番地の七宅地九十三坪三合九勺の内二十八坪八合七勺(以下七号地と略称する)を普通建物所有の目的で期間二十年賃料一ケ月坪当り金七円毎月末持参払いの約定のもとに賃借し、なお相手方に対し右賃料の三ケ月分に相当する敷金を交付し、坪当り金二千五百円の割合による借地権利金を支払つた。
(2) 申立人福島秀清は昭和二十二年三月二日相手方からその所有の同都同区同町一丁目四番の五宅地四十坪五合五勺(以下五号地と略称する。左記(3) の借地もこれに含まれる。)を(1) と同じ条件で賃借し、なお相手方に対し賃料三ケ月分に相当する敷金を交付し、坪当り金三千五百円に相当する借地権利金を支払つた。
(3) 申立人福島勝次郎は昭和二十五年三月一日相手方承諾の下に申立人福島秀清から(2) の五号地のうち十八坪二合二勺についての借地権を譲受けたが、このとき相手方に対し敷金四百円を交付し、借地人の名義書換料として約金二万円を支払つた。
(4) 爾来申立人等はそれぞれその賃借地上に店舖兼住宅用(店舖の用に供する部分の床面積はいずれも十坪を超えている)の木造建物を所有し、申立人吉田においては毛糸類の、申立人福島秀清においては封筒の、申立人福島勝次郎においては組紐類の各卸売業を営んでいる。
(二) ところで(一)(1) 乃至(3) 記載の地代は、相手方の請求により、いずれも一律に一ケ月一坪につき昭和二十二年十月分以降金十円、昭和二十四年六月分以降金二十八円、(但し以上二回はいずれも、(1) 、(2) の地代についてのみ)昭和二十五年八月分以降金六十五円、昭和二十六年十月分以降金八十円、昭和二十七年十月分以降金百円、昭和二十八年四月分以降金二百五十円と順次加速度的に値上げされ、申立人等も止むを得ずこれに従い右のように増額されたとおりの地代を支払つて来たのであるが、昭和二十九年三月中旬またまた相手方は申立人等に対し右各地代を同年四月分以降一ケ月一坪につき金三百五十円に値上げすべき旨請求し、申立人等がたとい従前の額どおりの地代の弁済の提供をしてもこれを受領しないことが明瞭となるに至つたので、申立人等はもとよりこれを不当とし右四月分以降も従前どおり一ケ月一坪につき金二百五十円の割合による各地代を相手方に対し弁済のため供託して来ている。
(三) ところがその後申立人等の調査したところによると、つぎのような事実が判明し、この一ケ月坪当り金二百五十円の割合による地代も著しく不当であることが明かになつた。すなわち、
(イ) 本件各土地(これらは同じく相手方の所有地でありその店舖兼住宅の敷地である同町一丁目四番の三宅地九十八坪六合一勺とともに一区劃をなしている)の附近に所在する賃借地の地代は一ケ月一坪につき約金百八十円を最高とし、平均約金百五十円である。
(ロ) 本件各借地に地代家賃統制令が適用されるものと仮定し、同令所定の算定方式に準じて本件各借地の昭和二十九年度の地代月額を算出してみるとつぎのとおりになる。
すなわち同年度における前記(一)(1) 記載の七号地を含む宅地九十三坪三合九勺及び(一)(2) 記載の五号地、宅地四十坪五合五勺の各固定資産評価額はそれぞれ金六百二十五万七千百三十円及び金二百五十五万一千四百円であり、その一坪分の千分の三はそれぞれ金二百一円及び金百八十九円(但し円より下位は四捨五入)となるから、七号地の地代は坪当り月額金二百一円、五号地の地代は坪当り月額金百八十九円である。
以上(イ)及び(ロ)の二点よりすれば、前記(二)の一ケ月坪当り金二百五十円の割合による地代は、附近類地の地代よりみても、統制賃料(本件各地代は地代家賃統制令の適用に服するものではないが、この統制賃料がその標準となるべきである。)よりみても、極めて高額にすぎ著しく不当であるというべきである。しかも申立人等は目下不況に苦しんでおり、このように他に例のないほど高い地代を支払うことは到底そのしのび得るところではない。
(四) そこで申立人等は昭和二十九年四月分以降の本件各地代をいずれも前記(三)(イ)記載のように本件各借地附近の土地の平均地代坪当り月額金百五十円程度に引き下げられるようその借地条件の変更を求めるため本件申立に及んだ。
第二、相手方代理人の答弁の要旨
(一) 第一、(一)(二)の事実はすべて認める。(三)のうち、(ロ)の点は認めるが、その余の事実はすべて争う。
(二) 申立人等は第一、(三)において昭和二十九年四月分以降一ケ月一坪につき金二百五十円の地代は高額にすぎると主張しているが、その主張は合理的基礎を欠き失当である。右地代は高いどころか寧ろ現在においては甚だ低すぎるのであつて一ケ月一坪につき金五百円程度が相当額である。適正公平な地代を算定するについてはあらゆる観点から推論し判断されるべきであるが、その主たる標準となるものは、つぎにのべるように(甲)土地の評価額、(乙)公定地代並に(丙)当該賃貸借のその他の条件及び近隣の土地の地代である。
(甲) 本件土地のように借地権の存する場合には、その更地価格から借地権価格を控除した残額(いわゆる底地価格)に対する利廻り相当額に固定資産税及びその他の経費を合算した価額を以て本件土地の地代とすべきである。そして底地価格は更地価格の二割であり、利廻り率は年一割、最低年五分であるとするのが相当である。
ところで七号地及び五号地の昭和二十九年度における更地価格はいずれも坪当り金三十五万円と評価されるべきであり、その固定資産税及び諸経費の合計額は一ケ月一坪につき金百円乃至金百五十円である。そこで右の算定方法によると、七号地及び五号地の各地代の坪当り月額は、利廻り率年五分、固定資産税及び諸経費の合計額一ケ月一坪につき金百円とその最低額の場合をとつてみても、
350,000円×0.22×0.05×1/12+100 = 円391.66…円
すなわち金三百九十二円(円より下位四捨五入)となる。
(乙) 地代家賃統制令による算定方式によると、七号地と五号地との各統制賃料がそれぞれ坪当り月額金二百一円と金百八十九円とであることは申立人等が第一(三)(ロ)において主張しているとおりである。ただ申立人等の主張と異り、これら統制賃料がそのまま右宅地の地代の標準とされるべきではなく、右宅地のように地代家賃統制令の適用をみず(このことは申立人等の自から認めるところである。)営業店舖敷地として好適の位置をしめている場合には、右統制賃料の三倍程度が実際取引上の相当地代額とされている。本件もこれによるべきであり、この計算によると、七号地の地代は一ケ月一坪につき金六百三円五号地の地代は一ケ月一坪につき金五百六十七円となる。
(丙) 申立人等はいずれも終戦後昭和二十一年十月以降昭和二十五年三月までの間において新に賃借したものであり、申立人等主張の権利金も店舖敷地に対する存続期間二十年の賃借権設定の対価としては寧ろ少額にすぎる。また近隣の土地の地代の実例として坪当り月額金二百円以下のものも存するがその反面坪当り月額金三百円乃至金四百円を算えるものがある。のみならず、本件土地附近の地主等としては坪当り月額金二百円乃至金三百円程度以下の地代では低廉にすぎるのでその値上をはかりたいのであるが、借地人等が容易にこれに応ぜず多くの場合近隣の借地人等と団結して頑強にこれに対抗するため、地主等は心ならずもそのまゝ長く地代を据置きにしているのが実情であつて、本件もその例にもれない。
第三、第二(二)(甲)乃至(丙)に対する申立人等代理人の反駁
(一) (甲)の算定方式は地主の利益のみに執われたものであつて、商店街の地代も地代家賃統制令の規整する方式によつて算定されたものでその標準となるべきである。また(甲)の算定方式の基本として七号地及び五号地の各更地価格が坪当り金三十五万円と評価されているが、それは単に地主たる相手方の希望する価格にすぎず、何等実際上の根拠にもとずいていない。本件土地附近の宅地が売買された実例は最近全くなく、ただ昭和二十九年中本件土地の隣接宅地約百坪の所有権がその借地人に代金坪当り金二万五千円で譲渡された事例が唯一つ存するだけであるが、この売買代金を底地価格とし、これを更地価格の二割に相当するものと仮定してみると、この約百坪の宅地の更地価格は坪当り金十二万五千円となる。更に本件各土地は問屋街としても格別有利な位置を占めるものではなく、また小売販売業等を営むにも全く不向きな場所であるから、本件各土地の更地価格を坪当り金三十五万円と評価することは余りにも高額にすぎ実情とかけはなれている。
(二) 公定地代の三倍程度が実際取引上の相当地代額であるとする(乙)の主張も何等根拠のない空論である。本件土地の近隣においてはその地代は公定地代よりも寧ろ低額であるのがその実際であり、公定地代の三倍に相当するようなものは見当らない。
(三) (丙)の主張事実に対して。申立人等主張の権利金はその支払をなした当時においては寧ろ高額にすぎるほどであつた。また坪当り月額金三百円乃至金四百円を算える地代は本件土地から非常に離れた中央区日本橋横山町所在の土地についてのものに限定されており、こゝはいわゆる横山町大通りと称する特殊商業地区でその借地権価格は本件土地附近のそれの約三倍にあたるものであるから、ここの地代を本件地代算定の基準とすることはできない。さらにまた近隣の借地人等が団結して地主の地代値上要求に対抗しているという事実はなく、むしろ逆に相手方のように毎年加速度的に地代の値上げを繰返している地主は他にその例がないのである。
第四、当裁判所の判断
第一、(一)(二)の事実は、この点について当事者間に争がないという事実に照しこれを認めることができる。
よつて昭和二十九年四月分以降一ケ月一坪につき金二百五十円の地代が申立人等主張のように著しく不当なものであるかどうかについて考える。
一体本件申立のよりどころとされている罹災都市借地借家臨時処理法(以下臨時処理法という)第十七条にいわゆる「地代、借賃、敷金その他の借地借家の条件が著しく不当なときは」とはいかなる意味であろうか。
本案は、当事者間において有効に成立存続している賃貸借契約の条件を当事者の意思にかかわりなく変更するものであり、しかも借地法第十二条借家法第七条が契約成立後その条件の「不相当ナルニ至リタルトキ」にだけ将来に向つてこの条件の変更を命じ得るのと異り、かような場合のほかに契約成立当初からその条件の不当な場合にも、過去、将来に亘つて条件変更を命じ得るものである。かように、本条においては、借地法第十二条、借家法第七条の規定を更に一歩進めて自由契約の公権力による改造がより強く認められるに至つたのであるから、本条の規定が発動されるためには、その発動を首肯させるに足るだけの要件、欠陥が当該借地借家契約中に存していなければならない。その要件がすなわち当該借地借家条件の「著しく不当な」ことであり、このときに始めて借地借家関係を衡平にするために右条件の変更が命ぜられ得るのである。元来本条の前身たる旧借地借家臨時処理法(大正十三年七月二十二日法律第十六号)第二条は、解釈上無効とされるべき暴利契約又は無効とはしがたいがほとんどこれに類比されるべき契約をその対象とし、右契約中の不当条件だけを是正し契約自体はこれを有効として存続させ以て関東大震災によつて異常な変動をうけた借地借家関係を正常化することをその主たる目的としたものであるが、本条もまた今次戦災後生起することあるべき借地借家関係の混乱異常に対処し右と同様の立法趣旨を以て臨時処理法中に規定されるに至つたものである。従つてこゝに所謂「著しく不当」とは、借地法第十二条借家法第七条にいう「不相当」よりも更に不相当の程度の甚だしいものであつて、(この点からみて、本条の対象となり得ない程度の不相当な借地借家の条件でも、右第十二条又は第七条の規定によつて同条の他の要件のみなされる限りその条件の更正され得るものがあるといゝ得る。)当該契約の有効性そのものをあやうくさせるおそれあるか又はこれに近似する程度にその条件の不当なものに限定されるべきである。もしこれに反して、この要件をゆるやかに解するならば、当事者間の合意の下に設定された契約条件が当事者の一方の意思によつて比較的容易に訂正され得ることとなり、それは、特別の事情のない限り契約当事者間の信義に反するのみならず、借地借家契約の効力に対する信頼を失わしめその安定性を害い、前記立法趣旨に反する事態を招来するおそれも生じて来るであろう。以上のように解するのが相当であると考えられるがかゝる観点の下に、本件地代が著しく不当であるか否かを考察する。
一、先づ申立人等の論拠(第一、(三)、(イ)及び(ロ)の二点)について検討してみよう。
(イ) 本件土地附近の土地の地代について。成立に争のない甲第十四号証(本件が調停に付されその調停事件においてなされた鑑定人松尾皐太郎の鑑定書)の鑑定理由中「所在位置」、「物件の現状」とそれぞれ題する部分、成立に争のない乙第六号証(同じく鑑定人熊倉信二の鑑定理由中「立地条件」と題する部分及び相手方本人審問の結果(第一回)を綜合すると、七号地及び五号地は都電小伝馬町停留所南方約一丁の地点にあり、同じく相手方の所有に属する同町一丁目四番の六宅地四十二坪六合五勺(第三者が相手方から建物所有の目的で賃借中)及び同町一丁目四番の三宅地九十八坪六合一勺(相手方の自用地)と隣接しこれらとともに矩形状の一区劃をなしているところであるが、この一区劃はその東側が右小伝馬町方面から堀留町、人形町各停留所をへて水天宮前停留所へ走る電車通りに面し、北側及び南側はそれぞれ右電車通りから西方に直角にまがる横通りに面しており、七号地はこの横通りのうち北側の幅員六間の道路に、五号地は右電車通にそれぞれ面していること、この一区域は地下鉄神田駅、三越前駅及び国電神田駅までいずれも約六丁の地点で、バスの運行線もあつて交通上利便の地を占めていること、この一区劃を含む附近一帯の地は古くから繊維関係の問屋街として発展をとげた商業地区で戦前戦後を通じ右問屋或は事務所用敷地として利用され人家極めて稠密し場所的経済的価値の高いところであることが認められる。(本件土地が問屋街として不向きな場所である旨の申立人等の主張を裏づけるに足る証拠は存しない。)さてこのような還境の下にある本件土地附近の土地の地代額は現実にどの程度のものであろうか。申立人福島勝次郎及び申立外三宅半四郎各本人審問の結果によつて真正の成立を認め得る甲第八乃至第十二号証の各記載によると、七号地の面する前記北側横通りに南面する大伝馬町一丁目三番地所在の三ケ所の借地の地代はその一ケ所が金百三十円、他の二ケ所がともに金百八十円、前記小伝馬町電車停留所附近で前記電車通りに東面する小伝馬町一丁目四番地五所在借地の地代が金百三十六円強、前記一区劃と電車通りをへだてて相対する大伝馬町二丁目二番地一所在借地の地代が金百六十九円強(以上いずれも昭和二十九年中における坪当り月額、以下の表示もすべて同様。)を算えるものがあることを認め得る。他面証人木村精太郎の証言及び右証言によつて真正の成立を認め得る乙第五号証の記載によると、前記小伝馬町一丁目二番地所在借地の地代が金二百八円、前記堀留町都電停留所附近の同町一丁目十番地の一、十三、十四及び十五所在各借地の地代がそれぞれ金二百八十七円、二百七十三円、二百四十三円及び二百二十円、並に同町一丁目十一番地所在借地の地代が金二百円を算えるものがあり、更に本件土地を含む大伝馬町の東方に隣接する日本橋横山町五番地所在借地が地代の金三百円、同町八番地所在借地の地代が金二百七十円乃至四百円を算えるものが存することを認め得る。そこで本件土地のごく近隣の土地の地代が申立人等主張のとおり最高金百八十円であり平均約金百五十円であることが認められるとともに、それより稍々離れた小伝馬町一丁目及び堀留町一丁目所在借地の地代に金二百円乃至二百五十円を超えるものの存することが認められ、更に日本橋横山町所在借地の地代には金四百円に達するもののあることが認められる。尤も申立人吉田邦康(但し一部)申立外三宅半四郎各本人及び証人木村精太郎の各供述を綜合すると、本件土地の存する大伝馬町とその東側に隣接する横山町とはともに主として繊維類の卸売を業とする店舖によつて形成されている商店街であるが、前者が問屋街として古い歴史をもち現在においても比較的規模、信用度の大きな問屋によつて占められその移動、変遷の割合僅少であるのに反し、後者は終戦後急激に発展した繁華街で店舖の規模も小さくその変動もはげしいため、その地代も前者に比して上昇し易い傾向にあり、また実際に坪当り単価の高額であることが認められ、(但し横山町所在借地の借地権価格は本件土地附近の借地のそれの約三倍程度である旨の申立人等主張事実は、申立人吉田邦康本人の供述中これに副うような部分が存するものの、これを証人木村精太郎の証言と対比するとにわかに採用し難くその他右事実を確認し得べき証拠はない。)相手方本人の供述(第一回)によつてもこの認定を動かし得ないから、横山町の前記地代額を以て本件地代の標準とすることはできない。しかしまたこれと同時に、小伝馬町及び堀留町の前記地代の存する点からみて申立人等主張の近隣の地代のみにによつて直ちに本件地代相当額を律することも妥当ではない。なお相手方主張の第二、(二)、(丙)末段の事実については、相手方本人(第一回)がこれに副う供述をしているが、申立人福島勝次郎本人の供述と比較してたやすくこれを採用し得ず、他に右主張事実を肯定するに足る証拠は存しない。寧ろ以上の認定事実からは本件土地附近の地代は区々であつて未だ一定しない状態にあることがうかがわれるものというべく、更に、終戦後における物価の急激な高騰に伴い市街地価格の異常な騰貴がもたらせられた反面その地代が地代家賃統制令の施行その他の制約によつて比較的低価格のまゝ抑制されたため、地価に相当する地代が一般的に確定されるまでに至らず個々の借地について可成りの高低差があるまゝになつているのが従来の実情であることは公知の事実であるから、本件地代の相当額を定めるについて、比隣の土地の地代を重くみることは本件においては適当でない。
(ロ) 公定地代に関する論点について。昭和二十九年度における七号地及び五号地の各地代は、もし地代家賃統制令所定の算定方式によるとすれば、坪当り月額金二百一円及び金百八十九円になることは、成立に争のない甲第一、二号証の各記載に照し明白である。しかし右各地代が地代家賃統制令の適用に服しないことは申立人等の自ら認めるところであり、また右各地代の相当額が右統制賃料を標準とすべきであるとする申立人等の主張を肯認するに足る証拠も論拠も本件記録中に存しない。なお相手方は、本件土地のような場所では、右統制賃料の三倍程度の額が実際取引上の相当地代額である旨主張しているが、この点に関しては、相手方本人が右主張には別に根拠はなく世間話にこれを聞いている程度である旨供述している(第一回供述)にとどまり、この供述部分だけから右主張事実を認めることは困難であり、その他これを肯定するに足る証拠は存しない。従つて公定地代によつて本件地代相当額を定めることも本件においては適当でない。
二、そこで地代家賃統制令の適用に服しない地代の相当額の算定基準は右、一、以外のものに求められなければならない。地代は賃貸人が賃借人に賃貸土地を使用収益させる対価として賃借人から賃貸人に支払はれるものであるから、賃貸人の賃貸土地即ち地主の投下資本に対する利潤相当額でなければならない。換言すれば元本にあたる賃貸土地資本に適正な土地資本利率を乗じて得た額に固定資産税その他の税金及び管理費等を加算したものが相当地代額にほかならない。ただ賃貸にあたり賃借人から賃貸人に権利金その他これに類する金員が支払はれているときは、すでにこのときに投下資本(いわゆる更地価格)のうちこの金員に相当する部分(いわゆる借地権価格)が回収されているのであるから、前者から後者を控除した残額(これがいわゆる底地価格である)が元本にあたる投下土地資本となる。この借地権価格は一般に商店街においては更地価格の八割にあたるものとされるのが通常であり(甲十四号証、乙六号証参照)、本件においても冒頭認定の本件土地におかれている環境及び賃貸借当事者間に授受された権利金、名義書換料等よりみてこの一般の事例に従うのが相当であると考えられる。申立人等は右算定方式は地主の利益に執したものと主張するが、以上の各構成部分が適正な限り地主側だけを利するものとならないことは明かであるから、右主張は採用できない。適正利潤は賃貸土地資本における営利的性格の稀薄性よりみて年六分を相当とする。固定資産税その他の管理費用は固定資産税の一、二倍とみるのを妥当とすべく(乙第六号証参照。なお相手方はこれを坪当り月額金百円乃至百五十円と主張しているのが、その計数上の根拠が明かでない。)甲第一、二号証の各記載によれば、昭和二十九年度の固定資産税額は、七号地金九万三千八百五十円(坪当り金千五円。円より下位四捨五入、以下同様)五号地金三万(二万とあるは誤記と認められる)八千二百七十円(坪当り金九百四十四円)となるから、右管理費用は、七号地金千二百六円五号地金千百三十三円(いずれも坪当り年額)となる。問題は更地価格がいかほどに評定されるべきかにある。相手方本人の供述(第一回)及び右供述によつて真正の成立を認め得る乙第一号証及び乙第四号証の各記載によれば、七号地及び五号地の底地価格はいずれも坪当り金七万円乃至七万五千円(上記の割合によつて更地価格を算出すれば、それは坪当り金三十五万円乃至三十七万五千円となる)であるとされているが、如何なる根拠によつて右価額が相当底地価格であるとされるのか右各証拠によつて推知し得べくもない。また申立外三宅半四郎本人及び申立人吉田邦康本人の各供述を綜合すると、本件土地附近にある鉄筋コンクリート造四階建倉庫の敷地約六十坪の地代値上請求に端を発して、右敷地がその所有者から敷地賃借人兼倉庫所有者に昭和二十九年中代金坪当り約金四万円(代金が坪当り金二万五千円であるとする申立人等主張事実を認め得る証拠はない。)で売渡された事実が認められるが、この一回かぎりの、しかも売買当事者の主観的事情の加味されたものと認められる底地売買価格から本件土地の客観的に妥当する適正更地価格を推論することは相当でない。(ちなみに、右のような堅固な建物の所有を目的とする借地権価格は普通建物所有を目的とする借地権価格を稍々上廻り更地価格の八割五分とみ得るから、もしこの比率によるとすれば、右敷地の更地価格は坪当り金二十六万六千余円となる。)さらに前示乙第六号証の記載によれば、七号地金二十八万円、五号地金二十七万円、前示甲第十四号証の記載によれば、七号地金十三万円、五号地金十五万円(角地)乃至金十四万円(角地以外の部分)(以上いずれも坪当り更地価格)とそれぞれ評定され、しかもその評価の根拠については、乙第六号証は七号及び五号地の各固定資産評価額の四倍乃至五倍相当額を、甲第十四号証はその二、二倍相当額を右各評定価格の基準となすというにとどまつているのであるから、七号地及び五号地の各適正更地価格はこの二つの鑑定書によつても容易に認定し難い。そこで適正更地価格の認定は暫く措き、試みに、以上評価のうち申立人等にもつとも有利な七号地坪当り金十三万円、五号地坪当り金十四万円の各最低更地価格(これより以下の価格ではあり得ないことは上記諸種の評価よりみて推定できる。)を一応の基準として前記算定方法に従い本件地代額を算出してみよう、すなわち、
7号地……130,000円×0.2×0.06+1,206円 = 2,766円 ∴月額坪当り231円
5号地……140,000円×0.2×0.06+1,133円 = 2,812.9円 ∴月額坪当り234円
となる。そしてこの地代額を基準としてみても、月額坪当り金二百五十円の本件各地代が冒頭に摘示した意味における「著しく不当なもの」といゝ得ないことは多言を要しないであろう。
なほ申立人吉田邦康及び相手方(第二回)各本人審問の結果によると、昭和二十一年十月当時七号地の借地権利金として申立人吉田から相手方に支払われた坪当り金二千五百円の割合による金員及び昭和二十二年三月当時五号地の借地権利金として申立人福島秀清から相手方に支払われた坪当り金三千五百円の割合による金員については、その授受当時においても現在においても右各当事者間においていずれもその金額に異存のないことが認められる(申立人等は高額にすぎた旨、相手方は低額にすぎた旨をそれぞれ主張しているが、このいずれかに副う証拠は存しない。)から、(もつとも右金員を基準として、前記算定方式に従つて地代額を算出すると、それはその当時の実際の地代額をはるかに上廻ることになるが、右地代額は当時の地代家賃統制令によつたものであることが相手方本人の供述(第一、二回)により推認されるので、この地代額をもととして当時の相当借地権価格を推定することは妥当でない。)この各借地権利金を基準として昭和二十九年四月当時の本件更地価格を評定するのもまた一つの相当な方途であるということができる。右各借地権利金の価格決定の主たる要素はその当時における客観的な借地権価格であるべきであるから、たとえそれ以外の要素例えば各当事者の借地及び借地権利金に対する主観的需要度等が右価格形成に反映しているとしても、右借地権利金を前記借地権価格とみなすことができる。そして上記のようにそれが更地価格の八割に該当するものとすると、昭和二十一年十月当時の七号地の更地価格は坪当り金三千百二十五円、昭和二十二年三月当時の五号地の更地価格は坪当り金四千三百七十五円となる。ところで、前記調停事件記録中の日本勧業銀行調査部発行「全国市街地価格の推移について(昭和三十年九月末現在)」の第三表(六大都市市街地価格推移指数表)によれば、六大都市市街地価格の平均指数は、昭和二十一年九月二二五、昭和二十二年九月五九九、昭和二十九年三月一八四二七、同年九月一九四七八であるから、昭和二十一年十月、昭和二十二年三月、昭和二十九年四月の右各平均指数はそれぞれ二五六、四一二、一八六〇二(小数点以下四捨五入)とみるのが相当である。右更地価格と右指数とをくみあわせると、昭和二十九年四月当時の更地価格は七号地においては坪当り金二十二万八千百二十五円(昭和二十一年十月当時の七十三倍、小数点以下四捨五入)、五号地においては坪当り金十九万六千八百七十五円(昭和二十二年三月当時の四十五倍、小数点以下四捨五入)となる。これら各更地価格を基準として前記算定方式に従い本件各地代を算出するとすれば、その坪当り月額が前示金二百三十一円及び金二百三十四円よりも高額となることは明白である。もつとも急激に地価の昂騰している場合において従前より賃貸されている土地の地代が値上げされるときは、そのときにはじめて賃貸される場合に定められべき地代に比して稍々低額たるべきが相当であるけれども、他面、上述のような借地権価格、更地価格の高騰は終戦以後のインフレーションによるものであつて賃貸人及び賃借人のいずれの経済行為にもよるものではないから、昭和二十一年十月以降昭和二十九年四月までの地価騰貴による利益は賃貸人と賃借人との間に折半せられるべきであり、従つて昭和二十九年四月当時地主に保有せらるべき底地価格は更地価格の二割を超えるものとならなければならないのである。そこでこれら相反する両要素を考慮にいれると右各更地価格を基準として算出されるべき地代が前示地代額より高額となることはあつてもこれを下廻ることはないと考えられる。
以上の諸点よりみれば、更に進んで七号地及び五号地の各地代の相当額がいくばくであるかを認定するまでもなく(本件においてはその必要が認められない)、昭和二十九年四月以降坪当り月額金二百五十円の本件各地代が「著しく不当」であるといい得ないことは明かである。なおその他の本件各借地条件にして著しく不当であると認められるものは存しないから、本件申立はいずれも失当として棄却せざるを得ない。
よつて主文のとおり決定する。
(裁判官 萩原直三)